「傷つけるのはやめて!」

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この記事を書いた人
真衣

このブログは
私が36歳でうつ病になってから40歳で完治するまでにやってきたこと、学んだこと、うつ病を治す上で大切なことなどを書き留めたものです。

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こんにちは、真衣です。

今日は
人に傷つけられること
人を傷つけること
について思うことを書きたいと思います。

昨今、
「傷つけられた」
という理由で抗議をする動きが頻繁に
見受けられるようになりました。

「人を傷つけるのをやめよう」
という訴えが盛んになっているようですが、
私はその動きに疑問を感じます。

世の中に頻発する「傷つけるな」圧力

先日見たニュースでこんなのがありました。

You Tubeの広告の中に
体の欠点を指摘してそれを
改善するための商品があり、
その描写に傷つけられたという人が
広告主に対して署名を行った
というニュースです。

最近の「傷ついた」主張は
ちょっと自意識過剰に
反応しすぎではないかと思うんですよね。

そもそも
「傷ついた」からと言って
その相手が絶対に悪者なんでしょうか?

「傷ついた」とさえ言えば
相手を悪者にしてしまえるような風潮に
私は危険を感じます。

傷つけられた方が被害者で傷つけた方が悪いのか?

最近は「傷つきました」と言ったもん勝ち
みたいな風潮が見受けられます。

「傷つきました」と言えば
その時点で被害者の立場になり、

『私は被害者・相手が加害者』
という構図を作り上げることができます。

「傷つきました」という立場をとれば
相手が悪者なので
相手に要求してやめてもらうことが
当然のように思えてきます。

「傷ついた」と思った瞬間に
自然と被害者になるのです。

傷つけられた=自意識過剰

「傷つけられた」という感覚は
その人の主観でしかありません。

その人の解釈だけが判断基準なのです。

ようはそのことに対して劣等感を持っているかどうかが基準なので
何を言ったらその人が傷つくかはその人次第です。
相手にはどうしようもないことです。

「傷つけられた」と感じる原因には

・自己重要感
・自意識過剰
・プライドが高い
・視野が狭い
などが挙げられます。

ようは自分のことが大事で
人は人、と思えないのです。

「自分が傷つくことはやめて」
というのは自己中心的で自意識過剰な反応です。

自分の考えが中心で他者視点を持っていないから
「この人はこういう見方をするんだ」
「こういう解釈をする人もいるんだ」
という考えができないのです。

極論を言ってしまえば、
傷つくというのは
「その人が自分で勝手に傷ついてる」
だけなのです。

傷つける人がいなくなることはない

何に傷つくかは人によるし、
誰もが世の中の何もかもを知っているという状況はありえないことです。

私は小学校の時
私を吃音だと知らない先生に挨拶ができなくて
「なんでちゃんと言わないんだ!
おなえ頭がおかしいんじゃないか!」
と怒鳴られたことがありました。

傷つくなんてレベルではありませんでした。
頭に血が登って体がブルブル震えました。

泣きたいような怒りのような悔しさのような
色んな感情が入り混じって
頭が混乱して動けなくなりました。

自分のことを何も知らず、理解しようともせず、
一方的に勝手にキチガイ扱いして怒鳴り蹴散らす

今考えてもこの先生のやったことは最低です。

あの時確かに私は傷つきました。

でも、あの時のことを今
あの先生に話したとしても
「だって知らなかったんだから
しょうがないだろ」
としか言わないだろうなと想像できます。

基本的にみんな「知らなかった」と言えば
悪気はない、だから傷つけたわけじゃない
という解釈をするのです。

傷つけた(とこちらが解釈した相手)方は
基本的に傷つけた意識はないので
傷つける行為がなくなるということは
難しいでしょう。

ちなみに私は今はあの時のことを
「傷つけられた」と思っていません。

”低レベルなおじさんなんだからしょうがない”
と解釈しています。

傷つくか傷つかないかは紙一重

「これが傷つくんじゃないか?」
という可能性をとことん考えていったら
人と話すことがなくなってしまうんじゃないでしょうか。

天パがかわいいと思ってる人が
天パの人に
「天パかわいいね!うらやましい!」
と言ったとしても

相手が天パが嫌いで
コンプレックスに感じていたら
「そういうこと言うのやめてくれるない?」
となる

傷つけるつもりがなくても
言われたほうの価値観の違いで
傷つけられたにも、褒められたにもなり
紙一重なんですよね

基準は
本人がコンプレックスに思っているかどうか

ただただそこが問題なので。

本人が何にコンプレックスを持っているかを
先に把握しない限り
傷つけるも傷つけられるも
どうしようもないのです。

「傷つけられた」主張とは

結局のところ
「私は〜」「私は〜」と
「自分がこうだから」を主張してくる人は
自意識過剰で
自分勝手で
自己重要感高すぎなのです。

めんどくさい
あつかいづらい
うざい
と思われる対象になりえます。

「私に合わせてください」
と自分のために周囲に動いてもらうことを
当たり前だと考えているわけですから。

他人に自分の価値観を理解し
対処させようとしてる
傲慢な行為です。

傷つくか傷つかないかは自分が決めること

「傷つきました」はただの受け身です。

言われたから「傷つきました」だけだと
単純思考でしかないというか。

例えば小さいな子供に「ブス〜」と言われても
幼いからしょうがないと思って
許せる人がほとんどでしょう。

「幼いからわからないんだ」という
自分の解釈を挟むことによって、
「傷つけられた」と思わないのです。

つまり自分の解釈を挟むことによって
「傷つけられた」と思わなくすることは
可能なのです。

「傷ついた」という認識を持つことに
はっきり言って得はありません。

自分が不愉快になって、解消されるまで
ずっと不快な気持ちを持ち続けることに
なるだけなので。

そしてそれを周囲にアピールすれば
幼稚で自意識過剰な人だと呆れられるだけです。

人は基本的に今までに自分が生きてきた
経験値でしか物事がわからないのです。

「うつ病」をよく知らない人が
うつの人に「なまけてる」とか言うのも
経験値と知識の問題でしかなく
どうしようもないことです。

それなのにそこに目を向けて
「傷ついた!ひどい!やめて!」と
感情を露わにしてる人を見ると

何も思考していない、
ただ自分の感情だけがそこにある
幼稚な人にしか見えません。

でも、最近そういう人が増えているので
そっちが当たり前みたいになっているのが
気になるところです。

自分が傷つかない方法を身につける方が
はるかに得だと思うんですけどね、私は。

他者欲求なんてやるだけ無駄です。
私は自主的な行動をしていきたいです。

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