忘年会行く派行かない派?HSPや内向型の私が感じる疲れと最近の傾向

心理・気持ち
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ゆま

ゆまです。
40代・独身。普通の生活に馴染めず、毎日ちょっと息苦しさを感じながら生きています。そんな日常で気づいたことや役立つヒントをゆるく書いています。

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今年もまた、あの季節がやってきましたね。そう、忘年会シーズンです。

カレンダーの12月を見て「あぁ、気が重いな……」とため息をついている方、いるのではないでしょうか。

世間では「一年を忘れて楽しもう!」なんて盛り上がっていますが、私たちのようにHSP(ひといちばい敏感な人)や内向的な性格の持ち主にとっては、ただの「試練の場」でしかないこともありますよね。

今回は、そんな私の実体験を交えながら、忘年会に対するモヤモヤした気持ちや、最近の世の中の傾向について書いてみたいと思います。「自分だけじゃないんだ」と少しでも心が軽くなれば嬉しいです。

HSPにとって忘年会は情報の洪水でしかない

まず、HSP気質の私にとって、居酒屋という空間そのものがハードル高めです。

  • 四方八方から聞こえる話し声や笑い声

  • 店員さんを呼ぶ「すいませーん!」という大声

  • タバコや料理が混ざった独特の匂い

  • 誰かのグラスが空いていないか常にアンテナを張る緊張感

これらが一気に押し寄せてくるので、頭はほぼずっとパニック状態に近くなってしまいます。
楽しむどころのさわぎじゃないんですよね。

私が特に辛いのは、「機嫌が悪そうな人」や「つまらなそうにしている人」の感情を勝手に拾ってしまうこと。「あ、あの上司、今の話題気に入らなかったかな?」とか気になりすぎて、料理の味なんて全然わかりません。

家に帰る頃には、マラソンを完走したかのような「どっとした疲れ」に襲われて、玄関で倒れ込む……なんてことも一度や二度ではありませんでした。

内向型人間にとって「大勢」はエネルギー漏れの場

内向型の人は「人が嫌い」なわけではないんですよね。ただ、エネルギーの充電方法が「ひとりの時間」にあるだけなんです。

私もひとりの時間は大好きですし、少人数の気の合う友人と静かに飲むのは楽しいです。でも、会社の忘年会のような「大人数」で「気を使い合う」場は、まさにエネルギーが漏れ続けるバケツのようなもの。

無理をして笑顔を作り、当たり障りのない相槌を打ち続ける時間は、自分をすり減らしている感覚になります。「早く帰って一人になりたい」「温かいお茶を飲んで本を読みたい」……頭の中はそんなことでいっぱいです。

結局、気疲れしすぎてしまい、その場を楽しむ余裕なんて生まれないんですよね。

回避性パーソナリティ傾向があると参加の意味が見出せない

さらに、「回避性パーソナリティ障害」のような傾向がある方、あるいはそこまでいかなくても対人関係に強い不安を感じる方にとって、忘年会は「行く意味がわからない」イベントになりがちです。

回避性パーソナリティ障害とは拒絶や批判、屈辱を極度に恐れるあまり、社会的状況や対人関係を避けてしまう心の病気です。内向的とは異なり、「本当は人と関わりたい」という欲求と「傷つくのが怖い」という不安が葛藤し、仕事や人間関係で深刻な支障をきたすのが特徴で、自分は劣っているという思い込みが根底にあります。

 

私自身も、「自分がそこにいてもいなくても変わらないじゃないか」とか「失敗して恥をかくのが怖い」という気持ちが強く出ることがあります。

  • 「自分がいることで場の空気を壊しているのでは」

  • 「会話が続かなくて気まずくなったらどうしよう」

そんな不安がぐるぐると頭を巡り、リスクを回避するために「最初から行かない」という選択をしたくなります。5,000円も払って、批判されたり拒絶されたりするかもしれないリスクを負うなんて、正直割に合わないと感じてしまうんですよね。

最近は「忘年会スルー」も当たり前の時代に

でも、ここ数年で風向きが少し変わってきたと思いませんか?

最近では「忘年会スルー」という言葉が流行ったり、若い世代を中心に「業務時間外の拘束は残業代が出ないなら行かない」とはっきり意思表示する人が増えてきました。これ、私たちにとってはすごく生きやすい変化ですよね!

私の周りでも、夜の飲み会ではなく「ランチ忘年会」にする会社や、そもそも「開催しない」という選択をするコミュニティが増えています。

「付き合いが悪い」とレッテルを貼られる恐怖も、昔に比べればだいぶ薄れてきたように感じます。みんな心のどこかで「無理して行かなくていいなら、行きたくない」と思っていたのかもしれませんね。

「行きたい派」と「行きたくない派」は、そもそもOSが違うのかもしれない

ここまで「行きたくない」理由を並べてきましたが、ふと冷静に思うことがあります。

それは、私のようなタイプは「忘年会に行きたくて仕方がない人」の気持ちが、心底理解できていないんだろうな、ということです。

「みんなで騒いでストレス発散しよう!」と言われても、私にとっては騒ぐこと自体がストレス。 「お酒の席で腹を割って話そう」と言われても、シラフの静かな場所でこそ深い話ができるのに、と思ってしまう。

逆に、忘年会が大好きな「行きたい派」の人たちからすれば、私たちの気持ちなんて想像もつかないのだと思います。

「せっかくの機会なのになんで来ないの?」 「一人でいて寂しくないの?」 「みんなと仲良くしたくないの?」

きっと悪気なく、本気でそう思っているんですよね。

これはもう、性格が合う合わないというレベルではなく、人間としての「OS(基本ソフト)」がそもそも違うのだと私は思うようになりました。

彼らは、人と関わり、外部からの刺激を受けることでエネルギーを充電できる「ソーラーパネル」のような性質。 対して私たちは、静かな場所でコンセントに繋いでじっとしていないと充電できない「蓄電池」のような性質。

そう考えると、お互いに理解し合えないのはある種、当たり前のことなんです。「なんで分かってくれないの?」と悩むよりも、「あの人たちは違う星の住人なんだな」「違うOSで動いているんだな」と割り切ってしまった方が、心がスーッと楽になりませんか?

無理に歩み寄ろうとせず、「あなたはそれが楽しいんだね、私はこれが楽しいんだよ」と、平行線のままでいることも、時には必要な防衛策なのかもしれません。

自分の心を守るために「行かない」選択肢を持とう

ここまで書いてきましたが、結局何が言いたいかというと、「無理して行かなくていいんだよ」ということです。

もし「どうしても断れない!」という状況なら、「一次会で絶対に帰る」と決めて、あらかじめ「この後用事があるので」と宣言しておくのもおすすめです。それだけで心の負担がだいぶ違いますよ。

年末はただでさえ忙しい時期です。自分を犠牲にしてまで、疲れる場所に身を置く必要はありません。

今年は、自分のために温かいココアでも淹れて、好きな映画でも見ながら、ゆっくり一年を振り返ってみませんか?そんな「ひとり忘年会」こそ、私たちには最高の贅沢だと私は思います。

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